わたしの「かわいい」は「退屈」の裏返しだ。
忙しくしてるときにはかわいいかわいいばかり言ってられない、自分のみなりを整えるのもぎりぎりになってしまう。
かわいいを楽しむにはすこしばかり余裕というか、ヒマが必要だ。
それから、さみしいと泣いてるときもやはりかわいいは出てこない。
ぐずぐず泣くほどじゃない、でも満たされてない、ほどほどのさみしさが必要なんだと思う。
すこし退屈で、うっすらさみしい。
それが私の「かわいい」の正体なんだろう。
私は毎日がさほど満たされてなくても、かわいいものを見て絶叫する自分がわりと好きだ。
かわいいは暮らしを彩ってくれる。
私をなぐさめてくれる。
満たされている代わりに彩りもなぐさめもない生活なんて、それはそれでいいものなのかもしれないけど、私はきっと飽きてしまう。
だから私はこれからもなんとなく退屈で、なんとなくさみしいままだろう。